Interview

司会:
本日は、この有名な「蝶々夫人」の主役を数々演じて来られた恵子さんの このオペラについての「思いの丈」を思う存分語って頂きたいと思います。それでは、恵子さんとこのオペラの馴れ初めからどうぞお願いします。
恵子:
そうですね、小さいときからこのオペラには結構馴染んでいたのですが、当時の「蝶々夫人」の役そのものに対する印象は正直余り良くなかったですね。子供ながらも、「太ったおばさんがやる役」とイメージが強く脳裏にありました。(笑い)

でもこのオペラ、実はソプラノ泣かせの作品で、蝶々夫人自身は15~18歳の設定なのに結構オーケストラ音が厚く、それに負けない声量が必要とされます。これを演じて声帯に支障がでてしまうソプラノ歌手も多くいます。そういうことで、プッチーニは若々しい声の歌手を念頭に置いて作曲したのですが、結局、結構体格の良いソプラノが演じることになってしまいます。

司会:
なるほど。

ところで、よく話題になるのですが、プッチーニの作曲時代の日本に関する乏しい情報から、日本に対する大きな誤解も含みながらこれまで数々のプロダクションが演じて来られた分けですが、日本人である恵子さんが演じられるに当たり、これまでの経験で どんな風に感じてこられて来ましたか?

恵子:
そこなんですよ!外国人が描いた日本ということで表現が変な部分が多々あります。仕方がないこととはいえ「芸者」と「芸子」も区別されていない。外国人は今でもステレオタイプで、「フジヤマ」、「芸者」となりますが、15歳の蝶々夫人は宴席で歌や踊りを披露する「芸子」の段階で所謂「芸者」ではないですね。
司会:
私が調べましたところ、普通に御座敷に出る「芸者」と歌・踊りや三味線という伝統御座敷芸の修業期間中の「見習い半玉芸妓」とは微妙に立場が違っており、京都ではこの見習い期間中の「半玉芸妓」は「舞妓」と言われています。また彼女らは芸者とは違い、御座敷には踊りを見せる程度でお酌などはしないとのことです。修行中の身は伝統芸をまず磨けというところでしょうか。
恵子:
衣装に関しても、日本人でない監督が演出する場合には、芸者さん達の衣装がめちゃくちゃな場合があります。寝巻きのようなものから、中国か韓国風の衣装まで様々です。私もモンタナ州の公演では、ピンカートンとの初夜の場面で、本当にネグリジェのようなものを着せられそうになり、急遽サン・ホセからFedExで私物の着物を送ったりしました。また、Producer側もそれなりに考えて準備した衣装なので、うまく話し合っていかなければなりません。それも蝶々さんを歌う日本人歌手の使命だと思います。
司会:
そうですよね。衣装以外にも日本の明治時代初期の時代背景を全く考証していないし、風俗の誤解も多いですよね。
恵子:
ええ、そうなんです。特におかしいのは蝶々夫人が父親の形見として持っている懐刀があるのですが、一応プッチーニのオリジナルではその懐刀で父親が切腹したことになっているのです。そんな、ばかな話はありますか? 武士の切腹は「抜き身の白刀」に紙を巻いて行うものですよね。それにもし懐刀で切腹したとしても、そんな血塗られた刀を日本人のセンスとして形見にします?
司会:
それ以外でも、武士である父親がMikadoから切腹を申し付かるというのも変ですね。父親の切腹が江戸時代末期であり、Mikadoが天皇を意味するとすれば天皇が徳川将軍の部下のまた部下である地方藩士に切腹を命じること自体がおかしいですね。切腹を命じるとしたら父親が属していた藩(鍋島藩あたり?)の殿様しか有り得ないですよね。少なくとも殺生を忌み嫌う公家の頂点の京都の天皇が武士に切腹を命じる理由がない。

日本でも一部の方々ですが、今こそ「蝶々夫人」の時代考証的な間違いを直して、きちんとした「蝶々夫人」を演じようとされていますが、そのような運動が広まればいいですね。

恵子:
そうですね。我々も日本人として次回「蝶々夫人」を演じる限りは、そのあたりに注意して、日本人でなければ演じられないようなものにして行きたいと思っています。
司会:
さて話題は変わりますが、「蝶々夫人」は何故最後に自殺することを選ぶのでしょう? 単純に考えると、いくら愛する人に裏切られても、可愛い子供を残して母親が自殺をするのはちょっと責任放棄というか、どうも解せないところがあります。
恵子:
実は私もその点については最初疑問に思いましたが、あるとき、すっと、わかったのです。蝶々夫人は息子の人生を素晴らしいものにしてあげたかったのではなかったかと。ちょっと私の思う「蝶々夫人の人生観」にも触れますが、蝶々夫人はただ泣く泣く売られてピンカートンの元に来たのではなく、実はこれをチャンスとして封建社会で女性の立場の弱い日本から飛び出したかった強い女性ではなかったかと(武家の娘ですし)。その為に自分から改宗し、もちろんピンカートンを心底愛し、子供を授かった。しかし、結局ピンカートンに裏切られ、息子を米国へ連れ去られることになる。この時、悲嘆の後ですが、彼女は腹を決めたのです。つまり、自らの存在が息子の将来の幸せにとってじゃまになるのではないか、息子を米国でピンカートン夫妻の本当の子供として立派になってもらい、自分の分身として自由な国で立身出世を遂げてもらいたいと。
司会:
うーん、流石は蝶々夫人という解釈ですね。よく、分かります。

さて、蝶々夫人の相手役ですが、ピンカートンという人は本当に悪い男なのでしょうかね?もちろん行動を見ていると、結局蝶々夫人を捨てた悪い男ですが、その場面場面では結構正直に生きているのか、それとも本心を隠して、女性を誑かしている本当に悪い男なのか?

恵子:
これは結局ピンカートン役を演じる人の解釈や、役者さんの個性で、いけ好かないピンカートンだったり(笑い)、本当の恋人のようなピンカートンだったりしますね。また蝶々夫人の役作りもその演じられるピンカートンの個性で微妙に変わって来ます。
司会:
なるほど。

ではシャープレスはどうですか?シャープレスという人物は素晴らしい人格者ですね。この役を演じる人の品格は大事ですね。

恵子:
私もそう思います。いけ好かないシャープレスを演じているプロダクションも幾つか見たことがありますが、私は好きじゃないですね。
司会:
私自身はシャープレスに憧れてしまうのですが、実はひょっとしてシャープレスも若い時分はピンカートンの様に放蕩していた時代もあり、人生の機微を知り尽くし、蝶々夫人を心底思いやるシャープレス像が出来てきたかも知れないと思うときがあります。結婚式の前にピンカートンに注意をするのも、自分自身の人生の経験から「余り好き放題して、お嬢さんを泣かしたら行かんぞ!」みたいな慈愛を感じます。
恵子:
私もそう思います。シャープレス役も本当に大事です。
司会:
どういう方がシャープレスをやって頂けるのかも大変楽しみです。
恵子:
今回のプロダクションのシャープレスさんは、マイケル・テイラーさんです。彼とは、「椿姫」、「トスカ」で共演しました。観客にも人気のある歌手です。お楽しみに!
司会:
本日は長時間に亙り大変ありがとうございました。 それでは今回の恵子さんとのお話を頭に叩き込み、Community Opera一同 今後の練習を頑張って行きたいと思います。

Interviewed by: Yoshi Shiraishi, Yukiko Murmann, Gordon Sasamori
Photos by: Kenji Nakai